ポイント
・発達障害は障害ではない。
・人類本来のヴァリエーションである。
・多様性の中でマイノリティであるがために、多数派から障害ととらえられているにすぎない。
京都大学霊長類研究所教授の正高信男先生の著書を紹介いたします。彼の主張にはいつも科学的根拠があり、それらは私達人間が本来持つ多様性への寛容さや優しさがあふれています。人工知能によって導き出される最善解がもてはやされるこの現代において、他者への思いやりや優しさがもつ普遍的な真理と、多様性を寛容するに至る社会的ハード面としての我々の教養が求められる場面がこれからどんどんと増えることでしょう。そうした教養をもたらしてくれる良書がここにあります。彼とは会ったこともなければ話したこともないため、利益相反はもちろんありませんが、良書を広く世に広め、世の中をより良くするためには多くの方に知ってもらいたい思いです。
発達障害を含めた人類の多様性がもたらしてくれた功績は本書に書かれているエピソードにとどまりませんが、その一端を垣間見ることで多くを知ることが出来ます。人が好きなことをすることでそれが誰かの役に立つ、世の中を良くするために必要なことであるような社会は、理想かもしれません。しかし、その理想を掲げることで受ける批評は、その理想を掲げないことで人々にもたらす絶望より幾らか有益であるでしょう。
私が研修医のころに自閉症の女児を入院で担当する機会がありました。精神科の教授と面談した際に交わした会話が忘れられません。
私「彼女はこだわりが強く一般社会に適応することは残念ながら非常に困難であると言わざるを得ません。しかし、もし彼女が珈琲屋をすることとなったときに、彼女が淹れてくれる珈琲はきっと美味しいと思います。」
教授「そうですね。彼女の特性がうまく活かせるような就労、生活につなげられるようにしたいですね。それにしても、その珈琲の例えは面白いですね。」
褒めてもらえて嬉しかったのと、彼女にとってどのような生き方が良いのか思案していた迷いを専門家にぶつけて議論できたことの高揚感がその時の情景とともに思い出されます。
ニューロダイバーシティとは、neurodiversityと綴ります。neuro=神経、diversity=多様性、それぞれを組み合わせた単語であり、発達障害を含めた神経学的多様性のことを指します。もちろん、他人に危害を加えてしまったり、迷惑をかけてしまう場合は多様性といった寛容の枠からははみ出してしまうため、是正を求められます。その境界あたりにある注意欠陥・多動性障害などの特性については小児科医あるいは小児神経科医の出番です。
さいごに
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