Miguel - Remember Me (Dúo) (From "Coco"/Official Lyric Video) ft. Natalia Lafourcade
ポイント
・親が子どもに死について話すことは抵抗がある
・自分なりの死生観を子どもと話し合うことが大切
・そもそも死生観に答えなどなく、文化や時代で大きく異なる
昨日は夕食後に家族で『リメンバー・ミー』というディズニー・ピクサー映画を見ました。キャッチコピーは「それは、時を超えて−家族をつなぐ、奇跡の歌」。ネタバレなきよう紹介すると、死者の国でいろいろ起きて家族の絆が描き出される、そんな映画です。ディズニー映画の中でも、おそらくずっと心に残る作品の一つとなりました。娘2人、とくに4歳の姉にとっては特に強い影響をもたらしました。
時は少しさかのぼり今年の初め、妻の実家で飼っていたイヌのモモが亡くなりました。イヌとしては大変長生きで、17歳と天寿を全うしての老衰だったようです。娘2人は生まれてからずっと、このおばあちゃんイヌと遊んでもらって楽しい思い出がいっぱいです。モモちゃんがご飯を食べているときに邪魔をしても、多くの他のイヌがそうするようには怒ったりしませんでした。ただ、困ったような表情で私や妻の顔を見上げていました。
「モモちゃんが御飯食べるのを邪魔しては、だめだよ。困っているからね。」
「そうなの、わかった!」
娘たちはモモちゃんが食べ終わるのを待って遊んでいました。そんなモモちゃんが亡くなったという知らせを受けて、妻と娘2人は車で向かいました。ここからは妻に聞いた話ですが、4歳の姉はモモちゃんが亡くなったことを理解したようで、ずっと泣いていたそうです。また、火葬して骨になったモモちゃんにもきちんと会ってサヨナラをしたそうです。
そんな経験があったからでしょう、映画を見終わって家族でお風呂に入っているときのことです。
「ママも死んで骨になる?」
と4歳の姉が、今にも泣き出しそうな表情で声を震わせ、私と妻に聞いてきました。
「そうだね、いつかママも死んで骨になってしまうけど、あなたより先には死なないようにするから安心しなさい。」
そう言われた娘は不満そうな顔で、死に関するいろいろな質問をしていました。それらに対しては、私や妻はわかりやすく本当のことを伝えました。この小さな子どもに両親が死んだ後のことまで伝えるのは、可愛そうな気もしましたが、事実は隠さずにわかりやすく伝えました。おそらく、これからも死について考える機会はたくさんあるでしょうが、親として子どもと死について話し合う最初の経験でした。
子どもに死について話したり教えたりすることは、簡単ではありません。しかし、大切なことでもあります。どのようにして生まれたか、どのようにして生きるか、どのようにして死ぬか、いずれも生命がなす神秘的ともいえる自然現象です。その終点である死について考えることは、よりよい生を考えるにあたり必要不可欠です。なぜなら、死を受け入れること、そして次に死から逆算した生命活動を企てられるからです。
死について子どもといろいろと話しをするのは大切ですが、嫌がる場合は無理にお葬式に連れて行ったり、納棺に立ち会わせるのはやめておきましょう。葬式症候群という一種のPTSD(心理的外傷、いわゆるトラウマ)になってしまい、過度のストレスが子どもにかかってしまう可能性があるため、注意が必要です1。そういうときは、まだそういう話をする時期ではないのでしょうから、急がず子どもの準備が整うのを待つとよいでしょう。一般的に5歳以下では、まだ死について理解できていないことが多いです。
1965年以前には、アメリカでは白血病の子どもに病名は告げられず、亡くなる前に違う病棟へ移されていました。しかし、1965年に発表された論文をきっかけに、ほぼすべての子どもに病名や予後が告知されるようになりました2。倫理観に反するとの批判も多かったようですが、実際は良い影響のほうが多かったようです。自分の病気のことを教えてくれず親も医療者に不満をいだき、検査や治療に協力的ではなかった子どもも、すべてを知ることにより明るく協力的になりました。よりよい命を生きるためには、どれだけ生きられるか、どんな治療が必要か、残りの時間をどのように生きるのが自分にとって最善か。それらを考えること自体も酷であると思ってしまいがちですが、それは優しさではなく親としてあるいは医療者として、伝えることが怖いだけなのかもしれません。事実を伝えられずに生きるよりも、限りある時間でより良い生命を生きられる。事実、命に関わる疾患をもつ子どもの認知機能はそうでない子どもよりも高いことが分かっています3。
ちなみに、僕は小中高と手乗り白文鳥をずっと飼っていました。名前はピーさん。可愛くてずっと一緒に遊んでいたピーさんが、ある11月の冬の寒い朝に巣の中で冷たくなっていたことを覚えています。それから2,3日は、駅で電車を待っているときも、高校の授業中も、悲しくてポロポロ涙がでました。いまでもYouTubeで文鳥の動画を見ては、かわいい仕草に心和ませています。
- Schowalter, J. E. How do children and funerals mix? J. Pediatr. 89, 139–45 (1976).
- VERNICK, J. & KARON, M. Who’s Afraid of Death On a Leukemia Ward? Arch. Pediatr. Adolesc. Med. 109, 393 (1965).
- Poltorak, D. Y. & Glazer, J. P. The Development of Children’s Understanding of Death: Cognitive and Psychodynamic Considerations. Child Adolesc. Psychiatr. Clin. N. Am. 15, 567–573 (2006).
さいごに
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