自宅から200km離れた国立医療センター小児科での当直業務を終え、帰りの新幹線の中で秋晴れの空を眺めながら書いている。少し眠たいけれど、電子書籍を読みながら、読書の秋にふさわしい気付きを得たので書き留めておく。
小学校の卒業式で、尊敬する担任の先生が僕たち卒業生七人に授けてくれた詩を思い出す。瀬戸内海に浮かぶ島で育った私の小学生の時の同級生は少ない。しかし、いや、だからなのか、思い出は濃い。
高村光太郎の、道程の一節を黒板に書いて、教えてくれた。
この遠い道程のため。その時に教えてくれた一節には、後に知る『気迫』というワードはなかった。
私は医学部には学士編入で入学して今に至る。その過程で、同じ学士編入したさまざまなバックグラウンドをもつ仲間と出会えたのは、人生の宝物だ。その仲間の一人で、今年度入学生のなかに、アメリカで疫学の大学を卒業した後に医学の道を志した女性がいて、脳神経解剖学の授業で講義の補佐していて小児科に興味があるということで話をした。彼女に小児科やキャリアに関する情報を伝えると、そのお返しのような形で、ハーバートビジネススクールのクリステンセン教授の著書を紹介してもらった。その著書を電子書籍で購入して、新幹線の中で読んでいた。
彼の文章は、一生懸命に生きようとする者に、確かな生きる指針を浮き彫りにしてくれる。その中で、私の頭にガーンと衝撃を与えてくれたのは、『気迫』についての文だ。
自分がなりたい理想像を自画像として描くこと、その正しさを検証すること、近づくために取り組むこと、それらを価値あるものにするために必要なのは気迫だ。
という趣旨の文章がある。人類で最高の知性を持つ偉大な知の巨人が、自らの人生を振り返って、この結論を導き出したことに、僕は少し安心した。運とか、才能とか、環境とか、自分ではどうしようもないことにその必要性を見出されなかったことは、残された者あるいはこれから生まれる者にとっては幸せなことだと思う。
つまり、気迫次第で、自分の人生が実りあるものになるという、一面的ではあるかもしれないがひとりの偉大な者の一生から導き出された結論は我々を勇気付けるには十分だろう。
自画像とはなんだろう。それを考える時に、私は補助線を想起する。中学校の数学の問題で、ある一本の補助線が、問題の解決を導く場合がある。そのような問題を経験したときの、心地よさは今でも覚えている。自画像とは、その補助線だろうと思う。つまり、補助線は、実際には存在しなかったものを作り出すことにより問題の簡潔化や解決に成功するという意味で、自分の理想像としての自画像と共通点を持つ。
そうこうしてると、新幹線が目的の駅に着いてしまった。ここらで書くのをやめて、我慢していたトイレにでも行っておく。