Aくん(仮名)は普通の中学生。ある日熱が続くので小児科を受診、抗生剤を飲んでも熱が引かないので血液検査をしてみたら、白血球がとても多いことが分かった。白血球は血液の中にいる細胞の1種であり、主にウイルスや細菌などの微生物から体を守ってくれる兵隊のような役割を担う。年齢にもよるが、通常は1マイクロリットルあたり1万個くらいが正常だ。水1滴がだいたい10マイクロリットルなので、その10分の1の血液に1万個くらいというのは、かなり多い。それだけ普段から私達が微生物と戦っていることの証なのかもしれない。白血球はその微生物と戦うときには、その数をさらに多く増やす。1マイクロリットルあたり普段は1万個のところを1万5千個などというように。多くても2万とか3万だ。しかし彼の場合は違った。5万くらいあったのだ。重症
感染症や
白血病の可能性が小児科医の頭をよぎる。彼は後者だった。
白血病とは、白血球ががん化した状態だ。がん化とは、無秩序に細胞が増殖し体のバランスが壊れた状態のことだ。人間は60兆個の細胞から構成されるが、その細胞は常に生まれては死んでいる。骨や歯など一部を除いて、ほとんどの細胞は半年で入れ替わってしまう。つまり、半年前の自分と今の自分とでは、構成する細胞はほとんど違うのだ(信じがたい事かもしれないが)。それは、古い細胞ほど異常を起こしやすいため自ら死ぬことを選択するためである。2秒に1個、我々の体ではがん細胞になりうる遺伝子変異が起こるが、それは遺伝子修復の仕組みが働いて直されるか、あるいはそれが困難である場合は自ら死ぬ(これをプログラムされた細胞死、
アポトーシスApoptosisという)。そのシステムが機能しない、あるいは処理に失敗した場合に、ヒトはがんになる。がん細胞の最大の特徴は無限増殖能である。そのわかり易い例を挙げよう。HeLa細胞は現在でも多くの研究室で用いられる世界で最初にヒトから採取されたがん細胞だが、その由来は1951年に子宮頚癌の31歳の黒人女性であるHenrietta Lacksから採取されたことによる。HeLaは彼女の氏名の頭文字それぞれ2つをとってきたものだ。彼女の細胞はなんと半世紀以上も生き続けているだけでなく、世界中の研究室へ配れるほど多く増殖してきた!こうした細胞の生き死にに関しては
福岡伸一先生の著書「
動的平衡」に詳しい。人間の生についてマクロからミクロまでわかりやすく書かれており、命に関する見方が私自身変わったので、大変おすすめである。特に、ルドルフ・シェーンハイマーの実験についてとその考察は、いろいろなことを考えされられた。
Aくんは大学病院に入院し綿密な検査が行われた。かなり予後の悪い遺伝子型をもつ
白血病であることがわかった。
白血病は、多くの場合、遺伝子型によってリスクが分類される。つまり、治りやすいかどうかを遺伝子を調べることにより予め予測することができるのだ。彼の場合は治りにくい遺伝子型だった。一縷の望みをかけた治療が始まる。
白血病の治療は、がん化した細胞を可能な限り殺すことを目的とする。できるだけ良い体調にした上で、強力な細胞を殺す薬剤を使用する。もちろん副作用は山ほどある。
口内炎、下痢、吐気は24時間、精神的にも追い込まれる。それらの副作用がなるべく少なくなるように、いろいろな補助となる治療が施される。治りにくい遺伝子型の場合は、がん化した細胞を殺し、さらに正常な細胞を移植する。造血幹細胞移植だ。つまり、血液の赤ちゃんの細胞を移植すること。彼は移植もした。ところが、移植後まもなく再発した。病院のスタッフ、両親は落胆した。本人は誰もいないときに病室で泣いた。母だけはそれを見ていた。これから、さらなる治療が彼を待つ。
このような例は、全国の小児科でいままさに起こっている。こどもが悪いことをしたわけでもないのに、しんどい治療をがんばっても治らないこともある。目を覆いたくなる状況で、むしろそこに突っ込んでいって問題の解決を迫られる状況だらけだ。そんなとき、わたしは、”コン
トロール不可能な真実”の存在を強く感じる。いくら希望をもっていても、怒りの感情をもってぶつかっても、どうしようもないくらい、ほんとうのことは人知れずそこにドーンと横たわる。その真実を目の前にしてできることは、たかが”コン
トロール可能な真実”に対してできることを紡ぐことだけなのだ。要するに、できることを粛々とやること、それがどのような結果をもたらそうとその責任を一手に引き受ける覚悟をもつこと、しかない。
人類を前にすすめるため、ほんとうのことのヒトカケラでも後生に残せたら、自分の人生捨てたもんじゃないなと今は思う。今日も当直の夜更け、
斉藤和義の「やぁ 無情」を口ずさみながら、自らの愚かさを畏れながら、粛々と彼らの訴えに耳を傾ける。
さいごに
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