「コミュ力(りょく)さえあれば、看護師として生きていけます!」
27歳の看護師さんが、鮮魚居酒屋で一次会を終えて洋食居酒屋に向かって歩いているときに、こう言っていました。職場の同僚達はそれに強く賛同しているようでした。特に医療現場では一つのミスが命取りになる恐れがあり、綿密なコミュニケーションがあってこその職場と言えます。看護師として必要とされる知識や技術ももちろん多いですが、それにも増して、人と人とのコミュニケーションの重要性は昨今の社会では求められる傾向にあるのでしょう。分厚い刺し身と、レモンサワーを2杯いただいた小生は、ほろ酔いでふらふらしながら、そうなんだなあとその会話に聞き入っていました。
さて、酔いも冷めてふと、コミュ力があれば生きていける社会なら、ない場合はどうなるのだろうと疑問になりました。小児科医として、発達障害がありその症状の一つとしてコミュニケーション障害のあるお子さんの対応をする場合があります。あらゆる処置の前に、きちんとした説明を要する場合も少なくありません。「これからチックンするんだよ、痛いけど、必要だから少しの間ガマンしてなあ。」そういった説明をしても、なかなか必要な医療を行うのが困難なケースも多くあります。
一方で、こんなにお利口さんなのに、発達障害とされているのか。と思うお子さんも少なくありません。病院の診察室に入って来られて、大人しそうにお母さんの足元に隠れている。恥ずかしそうにしているから、まず着ている服のキャラクターの話などから入っていくと、最初は堅かった表情がだんだんと柔らかくなり、お話をしてくれるようになる。お利口さんだなあと思っていたら、母親から、実は発達障害があると言われていま療育中なのですとお聞きし、意外な印象を抱くと同時に、この子は本当に発達障害なのだろうかと疑問を抱くことも少なくありません。
実際に、日本において発達障害として支援を受ける子どもの数は上昇の一途です。しかし、それは真の発達障害が増加していることを必ずしも示しません。つまり、子どもに問題はなくても(あるいは少なくても)、社会がコミュニケーションを非常に重視するようになったために、集団適応・社会適応ができにくい子どもや青年が増加し支援が必要なケースが多くあるということです。
“古墳時代には、識字障害はなかった。文字を使う社会になり、識字障害が生まれた”
小生の尊敬する小児科医の言葉です。第3次産業が幅を利かせる現代社会で、社会のあり方のせいで能力が発揮できない子どもの数を如何に減らしていくか、コミュニケーション力が低くても、潜在的能力を発揮して就労し納税できる人に如何に育てていくか。この分野において日本はまだまだ後進国であることは否めません。神経学的多様性 neurodiversity に合わせた生き方が選択できる世の中になってほしいですし、そのために必要な研究をこれからもどんどんやっていきたいです。より良い在り方を求めて、発達障害診療に当たりたいものです。
さいごに
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