「体が覚えてらっ」
高校バスケ漫画のスラムダンクで、片眼を負傷したエース流川が両眼を閉じてシュート放つシーンの台詞です。何百万本とうってきたシュート、視覚に頼らずとも全身の感覚だけでシュートを放とうとも成功する。心揺さぶられるシーンの一つです。
「こんな公式、これからの人生で使うわけねえ」
「過去の歴史なんて、勉強してなんになる」
一方で、学校教育の中で(多くの、あるいは全ての)子どもたちが抱く疑問です。実は僕も、社会の授業がとても嫌いでした。1919年にベルサイユ条約が結ばれたと、だから何なんだと!笑
今の自分の生活に、この知識がどう活きるのか、それが不明確な勉強は本当に嫌いでした。だけど、当時は学校の先生になりたいと思っていたので、仕方なしに授業は聞くしノートは取るけど、苦痛で仕方なかったのです。一方で、数学や理科はとても好きでした。僕の祖父は第2次世界大戦時に満州でいわゆる満州鉄道で働く鉄道マンでした。彼は数学がどのように鉄道業務に活きるのかを実体験を持って教えてくれていました。三角関数は、中学校の時に祖父から教わっていたくらいです。また、理科の実験や植物の観察も、目の前で起こる現象を理解するためのツールとしての知識であったために、実験や観察を経て教科書を紐解くことは楽しみでした。
このように、実際に日常で経験する出来事や、目の前で起こる現象を学ぶことのほうが、黒板の前に座って教科書を読むことよりも効果的であることは多くの方が経験するのではないでしょうか。子どもでも大人でも、それは変わらないと思います。
カナダはかつて、フランスの植民でした。その影響もあって今でのカナダでの第2外国語はフランス語がメインです。私達日本人が、外国語を身につけるのがしばしば困難であるように、カナダの子どもたちもフランス語を習得するのは簡単ではなかったようです。しかし、Germain博士とNetten博士(おじさんと、おばさん)が神経科学を利用したフランス語学習法、神経言語的アプローチ(neurolinguistic approach, NAL)を編み出しました1。このアプローチが学習法として優れているのは、まず会話から始めることです。たどたどしくも始めた会話の中で、いくつも問題点が出てきます。単語、文法、話題など、話したいけどうまく話せない原因を自分で見つける。それから、それを解決するための方法として知識を学ぶという方法です。
この方法は、言語学習に限らない点においても優れていると考えます。僕は、昔から座って勉強すること自体はあまり好きではなかったので、実習や実験が好きでした。大学生のときには定期的に小学校へ出向いて、理科の授業を2コマほどもらって授業することもありました。その時は、まず魚釣りを小学校5年生の生徒と一緒にして、魚をゲットする。それから、その魚を解剖しその構造と機能を知る。ついでにそれを調理して食べるという授業をしました。拍動する魚の心臓をみんなで観察しながら、脈打つ自分の心臓について思いを馳せるという貴重な時間でした。
脳において記憶の分類法は2つあります。1つは時間軸によって、短期記憶と長期記憶に分けられます。もう1つは意識して思い出す必要があるかどうか、陳述記憶と手続き記憶に分けられます。たとえば、陳述記憶はいわゆる教科書の内容を覚えるとき、手続き記憶は自転車の乗り方を覚えるときに使用します。冒頭の流川がシュートをうつ動作は、まさしく体に染み付いた手続き記憶の典型例です。学校の勉強や、資格の勉強をする際に、多くの場合において陳述記憶に留まってしまっていることが多いです。つまり、言語化して説明はできるように記憶はするけれども、体に染み付いた手続き記憶はできていない状態です。流川が眼を閉じてシュートできるようになるまでには何百万本と繰り返しが必要であったように、手続き記憶が完成するには単純な繰り返しを体に脳に染み込ませる必要があります。
単なる知識と、知恵の違いは、実生活に役立たない陳述記憶なのか、役に立つ手続き記憶なのかの違いです。下の図は、MacLeodさんが着想した、知識 knowledgeと経験 experienceと創造 creativityの関係性を表す図です。知識が経験によって繋がり、そのつながりを組み替えたり新しく生み出すことが創造性という解釈です。実に的を得ているかと思います。机に向かってひたすら知識(点、dots)を増やす時期や時間も大切ですが、それを繋ぐ経験(線、connecting dots)もとても大切です。さきほどの神経言語的アプローチに話を戻すと、まず会話から初めて、点も線も足りないことを痛感した後にそれらを身につけると。そのステップを踏まないで、「教科書の15ページから始めましょう。ここにはCan I use this?と書かれていて、Canは助動詞で。。。」では面白くないのです。要は脳の仕組みに合わないのです。
1〜3歳のころはいろいろな対象に興味がでてくる時期です。また、3歳から6歳はさまざまな対象に理解がすすみます。そういった時期に、ふとした日常のきっかけを大切にしてそれを深める時間はとても貴重です。下記は最近、3歳の娘と図書館の前でした会話です。
子「あ、アリさん!」
父「アリさんだねえ。よく見たら物を運んでるね。どこに運ぶのかな?」
子「おうち?」
父「そうおうちだね。誰にあげるのかな?」
子「あかちゃん?」
父「そうかもね。パパもよく知らないから、かえって図鑑みてみようか」
- Germain, C. Grammaire de l’oral et grammaire de l’écrit dans l’approche neurolinguistique (ANL). Synerg. Mexique, no 3, 15-29
さいごに
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